ついにCG教育の王道をめざす(笑)

授業資料作り溜めの日。 例年この時期、counter-strike:source のマップ作りの演習を1年生にやらせているのだが、 人質救出マップとか爆弾解除マップとかcs:sに固有の話をうだうだするのはまあ面白くなくもないのだが、 CG教育的な本質からはかなりはずれているし、 わざわざ1年前期でそんなややこしいことをやる必要もなかろうし、 また、3年次以降はたぶんhalf-life2をやってもらうことになるので、ゼミ生で来てくれたときにほとんど役に立たない。 しかし、hammer editor とかゲームの操作を覚えていてもらえるのは多少助かるのだが。

で、team fortress 2 が無料になったから、 1年生の演習は tf2 でやろかと思ったが、どうもこのアメコミ調の雰囲気が個人的に好きになれない。 かといって時代的に cs:s をやり続けるのもどうかと思う。 完全に無印half-life2に移行するのもありかと思うが、 half-life2は、これはこれで、 シングルプレイヤー固有のストーリー性もたせたりトリガー仕込んだりするのがけっこうむずい。 マルチプレイヤーのゲームは、マップ作ればそれなりに遊べるという気安さがある。

それでやはり1年生にはけっこうお気楽な cs:s を教材にして、 あまり cs_ がとか de_ がとかそっちの方の話はやらず、 トリガーもドアとかその程度にしといて、 displacement map とかパーティクルとかもさらっと流しにして、 ローポリのテクスチャとモデリングメインのCG王道な授業にしていこうと思っている。 そう、もう、ローポリモデリングの基礎的な授業に特化していく。 やっぱ、マップだけでなくモデリングやらないとCGの授業っぽくならんよね。 あと、絵もある程度は描けないとだめ、ってことを1年生のうちにわからせておかなくては。 絵が描けるだけでも、ダメなわけだが。

で、ドアとかエレベータとかトリガーやらは一応少しだけやっといて、 将来のシングルプレイヤーのマップ作りにつなげていく。 かといってモデリングも、1年前期3ヶ月の授業であるから、 ほんとにテクスチャを描いて貼ってゲームの中で動くくらいのことしかやらない。 全体としてみると結局はCGモデリングのオムニバス程度におさえる。 もっとやりたい人は3年生でゼミに所属してからやってくださいということ。

だいぶまえからいろいろつまみ食いしていたが、やはりCGに戻ろうかと思う。 Mediaartwikiのロゴも変えた。 文句言われたからやめるが。

だが私はCGムービーはもうやらん。アニメとかもやらん。 ノベルゲーなら、やるかもしれない。

ざっくりした流れとしては、

  • steam と cs:s と source sdk に慣れる。
  • 簡単なマップの造形。prop_static の配置。
  • やや複雑な建物の造形。テクスチャ調整など。ここでいったん課題提出。
  • ドアやエレベータなどのトリガー。
  • 炎や煙など。いわゆるパーティクルシステム。
  • オリジナルテクスチャの作成と使用。gimpなど。
  • オリジナルモデルの作成と使用。少しここにボリューム持たせて二度目の課題提出。
  • あとは、ざくっとこれまでやったことをまとめて採集課題の企画書かかせて課題制作して提出してもらって講評会やって終わり。

教える内容が多いのか少ないのかわからんが、 モデリングやテクスチャ描画などの制作時間をある程度確保した方が良い気がする。

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実学的Web

やはり、ゼミなどでディスカッションしてみて、思うのだけど、 これからのインターネットサービスというものは、ソーシャルネットワークに全面的に移行して、 そのうちの大半は携帯端末となる。

で、ウェブ開発と言ってたものの大半は、ソーシャルアプリ開発となる。 自分でウェブサーバー立ち上げたりとか、ユーザ管理したりとか、そういうことは、しなくなって、 よっぽど大きなくくり、 つまり、iphone なり、android なり、steam なり、PSN なり、 google だとか amazon だとか facebook だとかそういうレベルでしか開発管理されなくなっていく。

一番大きいのは顧客管理だよ。 顧客管理とはお金の管理であり、個人情報管理。 それを、個人レベルでやるのは無理。 訴訟対策のための法務部があるくらいの大きな会社でないと無理。

ただのWebには人も集まらない。 人はもはや素のWebサービスには集まってこない。 何らかの形のSNS仕立てにしなきゃ。 長期的視点で見ればブログの進化もまさにそういう流れ。 個人が勝手にかきなぐっていた公開日記的なものがだんだん相互作用が生まれてSNS化していく。

Webというおおざっぱな空間の中にSNSというショッピングモールができてきて、 人はみな荒野をあてどなくさまようよりもモールに直接やってくる。 googleなどがWebにちらばった情報をクロールして集めていた時代から、次の時代に移った。

ソーシャルアプリ開発ということは最初から寺銭払ってどんだけ儲かるかという話になる。 Web開発は、開発環境は実質タダで手にはいるのが普通だった。 javascriptとかphpとかmysqlとか。 そういうものは今後もそうだろうが、 クラウドOSとか、アプリを出品したり、アクセスがあったりすると、それに応じた金をとられる。 レンタルサーバーというものは昔からそうだったわけだが、それがデフォルトになる。

3DCGなどは金がかかるのが当たり前だったが、Webもそういう世界になっていく。 Web教育も最初に寺銭払ってそこでどんだけアプリを売るかという教育になっていくだろう。 現実的であり実学的であるが、ま、自分としても興味がないわけではないが、 それを芸術学部の学生に教えるかとなると考えどころだ。 むしろ芸術学部の学生にはCGを教えた方が自分も楽しいし学生も楽しいのではなかろうか。 自分にとっても学生にとってもあまり楽しくないというのは不幸なことだ。 私以外の人の方が適性があればお任せしたい。

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緊急メンテナンス

学科で管理している70台ほどあるWindows機のうちの7割くらいはGeForce、残りがRadeonになっているのだが、 HDDイメージ更新でRadeonのドライバが入ってなくて、標準VGAグラフィックスカード状態になっていて、 counter-strikeが起動できなかった。 学生にバイトを頼んで緊急メンテナンス。 ドライバを落としてくるのが偉い遅い。 サーバで落としてサーバからscpで持ってきた方が速い。 サーバからhttpで落とそうとすると遅い。 てことは、ルーターでhttpなんかしてるのかなと。 もう少し原因特定できたら業者に文句言えるのだが。

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いつもの漢詩。

また漢詩 を作った。四月半ば頃の叙景。

足下飇風起
渦流吹石砂
春天猶静謐
暫得楽残花

そんな難しくないのだが、念のために解説すると、 足下でつむじ風が起きて砂利の上に渦を作っている、 春の空は静かなので、もうしばらく残花を楽しむことができるだろう、 てな意味。

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web開発・制作の時代推移

思うのだが、PCから携帯端末へのシフトやらSNSの普及と同時に、 WebコンテンツとかWebサイトとかいう漠然としたものから、 アプリとか追加コンテンツの方へ、シフトしてきていると思うのよね。

つまり、php + mysql + javascript でなんかサイト作ろうとか、 そういうおおざっぱな授業というか演習ではなくて、 iphone、android、psvita などのプラットフォームごとのアプリ開発とかね。 学生の関心自体がすでにそちらに移ってきているし、 教員もそちらの方を教えたがるようになってきたような気がする。

webサイト構築というのはもはやものすごく大規模な開発になってきていて、個人の手に負えない。 昔は、webサーバー立ち上げるのも、サイト開設するのも個人でできた。 が、そういう一人でなんでもやるみたいな、個人商店みたいなやり方は今ではかなり難しく、 そういう個人製作レベルはアプリ開発みたいな分野に移行してきているのじゃなかろうか。

アプリが開発できるかどうかはそれぞれのプラットフォーム固有のSDKとか言語とかを知ってるかどうか、 なのであって、 webサイトとは何か、みたいな広大なテーマではないのよね。 いや、昔はそんな広大なものじゃなかったはずだが。

逆に昔は一人ではできなかったようなことが一人でできるようになってくる。 DTP とか DTM とか映像制作などがまさにそうだ。 つまり、あるものはだんだん規模が大きくなって個人ではできなくなってしまう。 だがあるものは、ソフトウェアの発達に伴って全行程を個人でできるようになる。 10年もたつとどれが個人制作に適しているか、ということがまるで変わってくる。

学生の課題というものは、個人制作の方がはるかに教えやすいし評価しやすい。 きちんとマネージメントすればグループ制作の方がクオリティの高いものができるが、 うまくやらないと、あまり働かない学生が出る。 また、成績評価は結局個人でやるから、個人がどのくらいプロジェクトに関わったかまで考慮して評価しなきゃならんわけだが、それってけっこう難しい。

で、如実に感じるのはweb教育ってなんか難しくなったなということと、 アプリみたいな制作は自分自身はあまり興味ないなってこと。 web制作がアプリ制作になってしまうのであれば私はそちらに行くよりも、 CGやってるほうがいいかな。 やっぱ個人でやるのに適しているものは明らかにある。 自分としてはどうしても一人で完結できる世界に引かれてしまう。

たとえば、今、Webサイト構築しましょうという話になると、どうしても、 SNS 作ろうとか言う話になりがち。 たとえば、自分の作ったので言えば、漢詩作成支援ソフト平仄くんだが、 これも漢詩作成投稿サイトにすることもできて、たぶんその方が面白い。 しかし、匿名掲示板みたいにするとセキュリティ的には怖い。 普通のSNSにしてもおかしなコンテンツ投稿されたらサイト管理者が削除せにゃいかん。 規約違反報告ボタンを付けるのも良いだろうが、結局は誰かが管理しなきゃならん。 ユーザー管理や個人情報保護なんかもやっかいな問題だ。 訴訟沙汰になったら法務部が必要だ、 とかいろいろ考えると、昔みたいに思いつきで掲示板開設して交流サイト構築、 などというような軽々しいことはできないわけですよ。

たとえばウィキペディアも最初はただの wiki だったのだろうが、管理人とか自治組織とか、 次第にそんなものが必要になってくる。 wiki 技術自体は簡単でも wiki を管理運営する手間が馬鹿にならんのですよ。 そう考えてくると、もう、誰かが管理しているサイトなりでアプリ開発した方が個人はずっと楽。 サイト様が検索リストに載せてくれて販売までやってくれる。 どうしてもそっちの方へいくよりないと思う。 個人で SNS とかまあどうがんばっても無理なわけですよ。

おんなじことはやはりサーバーたててうんぬんということにも言えて、 自分でサーバー立てるよもクラウドにしちゃった方が良い。 もはや個人でどうにかなる時代じゃなくなってしまった。 そうなっちゃったところというのは、ベンチャー起業とか、個人制作活動にはもはや向かないのよね。

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モデル劣化

なんか、自宅からアップロードする方が研究室からアップロードするより速いってのはもう、 末期症状だな。 はやく移管してしまいたいよ。

それはそうと、説明用に一から人体モデルを作ってみたが、やはり難しい。 というのは、既存のモデルというのは、テクスチャのサイズやらポリゴンの数やら最初からある目的で最適化されているわけで、自分で一から作るときには、それをみな自分でやらなきゃならない。 テクスチャ粗いの細かくしてみたり。 ポリゴン細かくしてみたり。 陰影がたりなきゃ手描きしてみたり。 その、ゼロからの作業量が結構すごい。 逆の言い方をすると既存モデルをいじるときには最初のそうした部分をすっとばせるわけだから、 やはりかなり楽。 ウェイトマップも流用するわけだし。 てか、ウェイトマップのめんどくささは異常だし。 学生にはやはり既存モデルいじるところからやらせるべきで、いや、 私は一から自分のモデルでやりたいというときには、ま、自己責任で、というしかない。

ていうかね、モデリングして、エッジ切れ目入れて、クラスタごとにUV展開して、テクスチャ塗る。 割とめんどくさいがそのくらいはたいしたことはない。 教えるのも割とめんどくさいけど、不可能なくらい難しくはない。 むしろみんなおもしろがってやるかもしれん。 しかし、それだけやってもなお、まだやらなきゃならないことが山のようにある。 としたら、最初から教えない方がましだろ。

で、softimage でモデリングして、sourcesdk のエクスポーターで smd にエクスポートして、 studiomdl.exe でコンパイルして mdl にする。 またテクスチャを vtex.exe で tga から vtf に変換する。 mdl を source sdk の model viewer で見るとかなり画質が落ちていることがわかる。 一つには、テクスチャでかなり高圧縮かけてるってことだな。 このにじみ具合からして jpeg 固有のアレだな。 テクスチャやポリゴンを細かくして描き込みすればある程度解決するのだが、 今のこれで 512×512なので、1024×1024か2048×2048にするとだいぶまともになる。 でも、ただのサンプルだからもういいか。

いやたいへんなんですよね、ただのローポリといえど。 ローポリだからというのもあるかもしれんけど。 昔のへぼいPS (PS2?) のゲームよりはまともかもしれんが、と自分では思っているのだが。 まつ毛はちゃんとポリゴン切って尖らせないとだめで、眼球も盛り上げないと3Dぽくならない。 鼻のモデリングもきちんとやらんとみれるようにならない。

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インポート・エクスポート

softimage のインターフェイスは、私は好きだが、特殊だと思う。 特殊だということは教材やチュートリアルを作るときに手間がかかる、 自分が普段使っているやり方をいちいち説明しなくちゃならなくて面倒だ、ということである。 実際 maya や 3dsmax なら市販の教科書買って読んでね、で済むといえば済む。

maya や 3dsmax を使っている連中には fbx でインポート・エクスポートしてね、 と言えば済むかもしれん。 実際、変形しない物体などのモデルはそれでも十分だと思う。 人体モデルなんかだと、完全な形で fbx でやりとりするのは面倒という以上の何かがある気がする。 複雑なモデルほど、インポート・エクスポートのコストが馬鹿にならん、ということだわな。

obj とか direct x とかでも、簡単なモデルならインポート・エクスポートできるのかもしれん。 そうすると、blender とか metasequoia とかで作ってもらい、 softimage にインポートして、sourcesdk アドオン使ってエクスポートすればいい。 そういえば 3dsmax だか maya 用に smd 出力する正規のプラグインがあった気もするが、 未だに、softimage 用の smd エクスポーターが一番問題が少ないように思われるのだ。

特に、初代 half-life 2だけで開発しようとすると(すべての基本だし、問題も複雑化してない)、 softimage は相性が良い。 softimage だけで全部やっちゃうのが一番安全だ。

だから結局 softimage を教えなきゃならんというところへ戻ってくる。 まあ、CG業界で食っていくなら softimage も一応さわったことがある、 というのはマイナスにはならんだろう。

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だるまを作るところまでのチュートリアル

steam はタダ、team fortress 2 はタダ、source sdk もタダ、gimp もタダ、 softimage modtool もタダなので、ゲームの中にモデルを読み込ませるところまでは、 全部タダでできる。 それで、まあ、いろいろ問題はあるが、team fortess 2 と softimage modtool をベースとした、 ゲーム内モデルを作るチュートリアルでもこさえようと思ったわけだ。

今年はうちのゼミに入ってきた新しい3年生がCGをやりたいと言っており、 また、昨今 webを芸術学部で教えることに限界を感じてきた。 たぶん芸術学部の学生は 平仄くんとか ウィキペディアンのお薦め などといったウェブサービスを開発することに興味を示さないというか、 ついてこれないというか、教員の側が自分の趣味に走りすぎているというか、 空気が私のプログラミングスタイルに合わないというのかなあ。 そもそもこれまでにないウェブサービスを作ったからと言ってそれがなんだというのだ、とも言える。 それに比べるとCGは割と学生と私の間の距離が近い。 私がやりたいことと学生にやらせたいことと学生がやりたいことが近い方が楽だし、 また、成果も出やすいのだ。当たり前のことだが。

芸術学部というところは、それ以外の世界よりも、Macとかiphoneとかアプリ開発とか、 そういうものに適している。 そういう世界があるのはかまわんのだが、私はあいにくそういう世界の住人ではない。 3DCGとかFPSとかが好きなのだ。 だからWindowsを使っている。 芸術学部全体がそういうわけではなく、 芸術学部の中でもWindows的なところとMac的な世界がある。 品質とか性能とかの問題ではなく、そのまとわりついている空気というか世界観というものが、 生理的に異なっていて、受け付けないのだから仕方ない。 もうこの大学に十年間いる。 最初は些細な違いだと思っていたが、結構本質的な問題だ。 いったんMac的世界とWindows的世界(iphone vs android でもよい)ができてしまうと、 Macを好む人がWindowsの世界から引っ越してきたり、 Macを嫌う人がWindowsの世界に逃げ出したりして、 さらに双方(?)がそういう人間の脳科学的生理(つまり科学的には解明されてない何かの精神的なもの) をハッキングして顧客を取り込もうとするから、 ますますその違いは拡大再生産されていくのだ。

まあいい、そんな話は。というより、こんなところでそんな話はすべきではあるまい。 でチュートリアルというか、 教材を一から作るのは久しぶりでめんどくさくもあるがやるしかないよなあ。 つくりかけだがだるまの作り方。 どうもね。自分で mediawiki を管理するのがめんどくさくて仕方ないのだが、 大学のシステムか、どこかのシステムで代用できないかね。 もう疲れたよ。

だるまが作れるようになったら次は人体モデリング。 人体モデリングができるようになったら次は振り付けと台詞。 最後にマップにトリガーしこんで家ゲームにしたてるのだが、 そこまでのあまりの遠さにめまいがするよな。 だがまあ、シングルプレイヤーのストーリーのあるゲームを作ろうとするから面倒だってところはあって、 team fortress 2 のマップとモデルだけ作ってりゃいいならそんなたいしたことはないな。 マルチプレイヤーは楽だよ。 アルファ版でもベータ版でもいいから、なんらかの形でまずアウトプットを出すのは大切だよな。

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Leet


カウンターストライクに出てくるテロリスト Leet の眉間の皺を消し、 髭をなくして、サングラスの色を薄くしてみた。 まあそれだけ。 人体モデルのテクスチャだけ描き変える演習でもやろうかと思ったが、 あまり面白くないな。 まったく役に立たないわけじゃないが。

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メッシュの整形

左が元 half-life:2 のmossmanで右が元naomi (female_06)なのだが、 メッシュの細かさがだいぶ違ってて、特に目の周りのメッシュが全然違う。 mossman の方はちゃんと二重まぶたになるようにメッシュが細かく切られている。 しかし、naomi の方はまぶたの形にメッシュができてない。

こちらは naomi のまぶたを二重に「整形」したものだが、 それでもまだポリゴンが足りない。 さらに、naomi は目の上の骨(brow ridge; 眉弓というらしい)が出過ぎていて、美形というにほど遠い。 もすこし思い切った「整形」をしないと、美人キャラにはなれそうもない罠。


mossman は角度を変えた方がよくわかるが、 眉の骨はそんな飛び出てない。


alyx は、なんかテクスチャが変なのだが、やはり眉の骨は飛び出てない。

いやー。 キャラクターモデリングって奥が深いね。

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春日

たまには七言絶句でも作ろうかと空き時間に、 春日

長閑独歩落花行  長閑、独り落花を歩み行けば、 
暖気満光新緑生  暖気、光満ちて、新緑生ず
雖是吾尤好季節  是吾が尤も好む季節といえども
事成煩瑣愈無精  事煩瑣と成りていよいよ無精

「いよいよ無精」とか言ってる場合なのか新学期。 和歌と漢詩を比べると、和歌はもう、感覚だけで作る感じ。 漢詩はパズルに近い。 パズルのピースをいろんな種類(熟語とか成句とか)持っていればわりと簡単なのではないか。 和歌にはそのピースに当たるものがない。 脳の中にあるまったく形のないものをえいやと気合いで言語化するしかない。 いわば、シャーマニズムにおける憑依霊媒、或いは芥川龍之介が言うところの三昧境に近い。

俳句は逆にパズルに近いかもしれん。

研究で言えば理論系と実験系みたいな。

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桜芽下作

一応、春なので桜芽下作

萌芽映幼枝  萌芽、幼枝に映じ、
酔漢訪花時  酔漢、花を訪ねる時。
露酒風餐宴  露酒風餐の宴、
応招一美姫  まさに一美姫を招くべし。

ええっとこれは実は実景ではなくて想像の景色なのだが、 「映」は 杜牧「千里鶯啼緑映紅」とか王維「鰲身映天黑」のように使う。 つまり、色の対比が鮮やかというような意味だろう。 「露酒風餐」とは「風餐露宿」というのから来ている。

「酔士」と「酔漢」で迷ったが、 酔っぱらいのオッサンがきれいな姉ちゃんいないかなあとふらついている感じを出したかったので、 結局「酔漢」とした。 美女と野獣じゃないが、酔漢と美姫の対比ということで。 「酔士」だとやにきどってるし、 今時「士」は男性とは限らないし。

どちらかと言えば花の下でまさに酒宴を開いているときというよりも、花が咲きかけてきたので、 どんな宴会にしようかなと考えている飲んべえ親父の心境を歌ったもの。

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陸奥宗光の詩

陸奥宗光が十五才の時に作った詩らしいのだが、すごくよくできているな。 敢えてけちをつけると「吟」が孤平だということくらいか。

乃木希典の金州城下作よりも面白い。ただし、形式は乃木希典のほうが整っているが。 整っていると言う意味では、これに過ぎるものは無いかも知れん。

他にはないのかな。 十五才でこれだけ作れれば、生涯ではもっと作ってるはずだが。 案外、十五才の時のことを壊走して詠んだものかもしれん。

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斗南先生

中島敦の比較的初期の作品で「斗南先生」というのがある。 斗南先生とは中島敦の叔父中島端のことで、この作品の中に出てくる漢詩もその叔父が作ったというものだ。

冒頭の詩は読み下し文から復元すると次のようになる。 雲海蒼茫佐渡洲。 やはり押韻はきちんとしているが平仄は完全とは言えない。

毎我出門挽吾衣。 これも悪くないが、平仄はかなりいい加減だし、「我」「吾」などわざと同じ意味の言葉を字だけ使い分けてたり、同じ字の反復が目立つ。

七言絶句なのに初句が押韻してない、いわゆる踏み落としだが、「微」と「支」は通韻なので、これはありか。 ていうか通韻珍しい。滅多にないよ。通韻いちいち調べるの面倒なので書いておく。

東冬江
支微斉佳灰
魚虞
真文元寒刪
先
粛肴豪
歌麻
陽
庚青蒸
尤
侵覃塩咸

今度使ってみようかな。

和歌も出てくる。幕末維新の武士みたいな歌だ。 ついでだから書いておく。

吾(あ)が屍(かばね) 野にな埋みそ 黒潮の 逆巻く海の 底へなげうて

さかまたは ををしきものか 熊野浦 寄り来るいさな 討ちてしやまむ

中島敦の漢詩なり和歌は、少なくとも漢詩は親類の影響を受けたものだろうと思われる。 あまり平仄はやかましく言わない流派なのだろうと思う。 「吾が屍」の歌は町田四郎左衛門という志士の詠んだ歌

我死なば 焼きて埋めよ 野に捨てば 痩せたる犬の 腹を肥やさむ

に似ている。これはもともと小野小町の辞世(もちろん後世の偽作)

吾れ死なば 焼くな埋むな 野に晒せ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ

を本歌とするのだろう。

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中島敦の漢詩

そういえば中島敦は漢詩を書いてたなと思い、今更ながら調べてみる。 まずは、「山月記」に出てくる詩 偶因狂疾成殊類だが、これは中島敦の作ではないらしい。 「四庫全書」に「人虎傳」というのがあって、そこにそのまま載っている。長いがそのまま引用する(原文は古典小说之家’s Archiver西陆网などにある)。

隴西李微皇族子家于虢略微少博學善屬文弱冠從州府貢焉時號名士天寶十五載春於尚書右丞楊門下登進士第後數年調選補尉江南微性疎逸恃才倨傲不能屈跡卑僚嘗鬱鬱不樂毎同舍會既酣顧謂其羣官曰生乃與君等為伍邪其僚友咸側目之及謝秩則退歸閒適不與人通者近歲餘後迫以食且缺乃東遊吳楚間期歛于郡國長吏楚人聞其聲固久矣及至皆開館以俟之畱宴遊極歡將去悉厚賄以實其囊槖微在吳楚且周歲所獲饋遺甚多西歸虢略未至舎於汝墳逆旅中忽被疾發狂鞭捶僕者不勝其苦如是旬餘疾益甚無何夜狂走莫知其適家僮跡其去而伺之盡一月而微竟不囘於是僕者驅其乘馬挈其囊槖而逺遁去至明年陳郡李儼以監察御史奉詔使嶺南乘傳至商於界晨將去其驛吏白曰道有虎暴而食人故途於此者非晝莫敢進今尚早願且駐車固不可前儼怒曰我天子使後騎極多山澤之獸能為害邪遂命駕而行去未盡一里果有虎自草中突而出儼驚甚俄而虎匿身草中人聲而言曰異乎哉幾傷我故人也儼聆其音似李微者儼昔與微同登進士第分極深别有年矣忽聞其語既驚且異而莫測焉遂問曰子為誰豈非故人隴西子乎虎呼吟數聲若嗟泣之狀已而謂儼曰我李微也儼乃下馬曰君何由至此且儼始與君同場屋十餘年情好歡甚愈於他友不意吾先登仕路君亦繼捷科選睽間言笑厯時頗久傾風結想如渴待飲幸因出使得此遇君而乃自匿草中豈故人疇昔之意也虎曰吾已為異類使君見吾形則且畏怖而惡之矣何暇疇昔之念邪雖然君無遽去得少盡欵曲乃我之幸也儼曰我素以兄事故人願展拜禮乃再拜虎曰我自與足下别音容曠阻且久矣僕夫得無恙乎宦途不致淹畱乎今又何適向者見君有二吏驅而前驛隷挈印囊以導庸非為御史而出使乎儼曰近者幸得備御史之列今奉使嶺南虎曰君子以文學立身位登朝序可謂盛矣況憲臺清要分糾百揆聖明愼擇尤異於人心喜故人居此地甚可賀儼曰往者吾與執事同年成名交契深密異於常友自聲容間阻去日如流想望風儀心目俱斷不意今日獲君念舊之言雖然執事何為不見我而自匿於草莽中故人之分豈當如是邪虎曰我今不為人矣安得見君乎儼曰願詳其事虎曰我前身客吳楚去歲方還道次汝墳忽嬰疾發狂夜聞户外有呼吾名者遂應聲而出走山谷間不覺以左右手攫地而步自是覺心愈狠力愈倍及視其肱髀則有斑毛生焉心甚異之既而臨溪照影已成虎矣悲慟良久然尚不忍攫生物食也既久飢不可忍遂取山中鹿豕獐兔充食又久諸獸皆逺避無所得飢益甚一日有婦人從山下過時正餒迫徘徊數四不能自禁遂取而食殊覺甘美今其首飾猶在巖石之下也自是見冕而乘者徒而行者負而趨者翼而翔者毳而馳者力之所及悉擒而咀之立盡率以為常非不念妻孥思朋友直以行負神祗一旦化為異獸有靦於人故分不見矣嗟夫我與君同年登第交契素厚君今日執天憲耀親友而我匿身林藪永謝人世躍而呼天俛而泣地身毁不用是果命乎因呼吟咨嗟殆不自勝遂泣儼且問曰君今既為異類何尚能人言邪虎曰我今形變而心甚悟耳自居此地不知歲月多少但見草木榮枯耳近日絶無過客久飢難堪不幸唐突故人慙惶殊甚儼曰君久飢某有餘馬一疋畱以為贈如何虎曰食吾故人之駿乘何異傷吾故人乎願無及此儼曰食籃中有羊肉數斤畱以為贈可乎曰吾方與故人道舊未暇食也君去則畱之又曰我與君眞忘形之友也而我將有所託其可乎儼曰平昔故人安有不可哉恨未知何如事願盡教之虎曰君不許我我何敢言今既許我豈我望邪初我於逆旅中為疾發狂既入荒山而僕者驅我乘馬衣囊悉逃去吾妻孥尚在號怨豈知我化為異類乎君自南囘為齎書訪吾妻子但云我已死無言今日事志之乃曰吾於人世且無資業有子尚稚固難自謀君位列周行素秉風義昔日之分豈他人能右哉必望念其孤弱時賑其乏無使殍死於道途亦恩之大者言已又悲泣儼亦泣曰儼與足下休戚同焉然則足下子亦儼子也當力副厚命又何虞其不至哉虎曰我有舊文數十篇未行於代雖有遺藁當盡散落君為我傳錄誠不能列文人之戸閾然亦貴傳於子孫也儼即呼僕命筆隨其口書近二十章文甚高理甚逺閲而歎者至于再三虎曰此吾平生之業也又安得寢而不傳歟既又曰吾欲為詩一篇蓋欲表吾外雖異而中無所異亦欲以道吾懷而攄吾憤也儼復命吏以筆授之詩曰偶因狂疾成殊類災患相仍不可逃今日爪牙誰敢敵當時聲跡共相高我為異物蓬茅下君已乘軺氣勢豪此夕溪山對明月不成長嘯但成嘷儼覽之驚曰君之才行我知之久矣而君至於此者君平生得無有自恨乎虎曰二儀造物固無親疎厚薄之間若其所遇之時所遭之數吾又不知也噫顏子之不幸伯牛斯疾尼父常深歎之矣若反求其所自恨則吾亦有之矣不知定因此乎吾遇故人則無所自匿也吾嘗記之於南陽郊外嘗私一孀婦其家竊知之常有害我心孀婦由是不得再合吾因乘風縱火一家數人盡焚殺之而去此為恨爾又曰使回日幸取道他郡無再遊此途吾今日尚悟一日都醉則君過此吾亦不省將碎足下於齒牙間終成士林之笑焉此吾之切祝也君前去百餘步上小山下視盡見此將令君見我焉非欲矜勇令君見而不復再過此則知吾待故人之不薄也復曰君還都見吾友人妻子愼無言今日之事吾恐久畱使斾稽滯王程願與子訣叙别甚久儼乃再拜上馬回視草茅中悲泣所不忍聞儼亦大慟行數里登嶺再視則虎自林中躍出咆哮巖谷皆震後回自南中乃取他道不復由此遣使持書及賵贈之禮計於微子月餘微子自虢略入京詣儼求先人之柩儼不得已具疏其事遂以己俸均給微妻子免飢凍焉儼後官至兵部侍郎

押韻も平仄もきちんとしている。 七言律詩なので、対句もちゃんとしている。「今日」と「当時」、「我」と「君」など。 きまじめな印象。 ただ、「成」という字が多すぎる。

筑摩書房「中島敦全集 1」の「漢詩」冒頭。

習習東風夜淡晴。 悪くない。押韻も対句も平仄もほぼ完璧。 わざわざ文句をつける気はないが、なんかくどい。テーマパークみたいな出来過ぎ感がある。 七言律詩は長いからね。 春の夜の情景を詠みたかったのだろうけど、ただああ美しいなあというだけだよね。 それから、ふつうは「東風習習」ではなかろうか。 風が蕭蕭とか習習とか、声が細細とか、雨や花が紛紛とか、夜が沈沈とか、 なんか幼稚(?)な感じで使う気になれない(とか言いながら自分も滴滴聴晨響などとやっている)。 まあ、好みの問題なんだろうけど。 おそらく、処女作か詠草のたぐいではなかろうか。

攻文二十年 わかりやすく、面白い、押韻もちゃんとしてるが、平仄がなんだか変だ。

北辰何太廻。 これも平仄が変だ。 わざとやってるのか。 五言絶句にこういう平仄もあるのだろうか。 内容は面白い。「北辰何太廻」北極星の周りを星が回っている。 (それに比べて)「人事固堪嗤」人間のことなどそもそも取るに足らない。 「莫嘆無知己」自分を知る人がいないからと嘆くな。 「瞻星欲自怡」星を見て一人で楽しんでいよう。

日曜所見。 日曜林の中で青い目の女の子が犬を連れて散歩してたという、たわいない詩。平仄は適当。

戯作。 友人らと本牧の花街を通りすぎたら昼間は閑散としていて化粧っ気のない女たちが却って愛嬌がある。 横目で見て通り過ぎる客を恨んでいる。財布も胸の内もさむざむしい、というやはりたわいない話。 これも平仄はかなりいいかげん。

うーむ。中島敦ですら平仄はあまり気にしなかったようだが、ただ、平だけ仄だけ連続するとか、或いは平もしくは仄が孤立するというようなのは避けているような気がする。そんな風な指導があったのだろうか。

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